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2007年8月31日 (金)

さあ!  柏崎

 今朝の朝日新聞地方版に、地元紙主幹の言葉が紹介されていた。復興を目指す柏崎のスローガンが「頑張ろう!輝く柏崎」ではおかしいのではないか、という視点である。輝いているならば頑張る必要がないではないか、日本語になっていない、だから「たちあがれ!柏崎」という表題で連載を始めた、という記事である。

 その通りだと思う。言葉というのは魂であり、論理である。柏崎の場合常に論理は「うるさいもの」として端におかれてきた。だから今の姿がある。私だったら、と1ヶ月ほど前に考えていたのは「さあ!    柏崎」であった。さあ!と柏崎の間の空白がミソである。

 さて、その朝日の記事の中で、よく言われることが繰り返されていた。原発の金でハコモノを作ってきた事に関する指摘である。「普通の町」を求め、「自立心」を持つ事が指摘されている。私は違う見解だ。

 普通の町になり得ない、町が無くなってしまう危機、を約40年前に感じた人がいたのだと思う。だからこそ原発を選択したのだと思う。無論金銭にまつわる話も多かったのだろう。けれども、私は原発こそ「自立心」に結びつけることができると考えていた。ただ、この40年のアプローチの仕方を変えなければならないと訴えていたのだ。

 原発を金の集積と考えるのではなく、原発を人の集積と考えていくことにシフトするのだ。人の後に金は付いてくる。アプローチの仕方を変えていけば、原発は自立の象徴になれる。誇りともなりうる存在である。

 と考えていた。

 ただ、地震後あまりに発想がない。

  「さあ!    柏崎」

 

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