« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »

2007年9月

2007年9月 3日 (月)

グッバイサマー

 夏が終わった。9月だから秋、というわけではないのだが、やはり8月、夏が終わってしまうと寂しい。

 そこで、夏の思い出2007。

 044ss

             住宅難

035s_3

          夏の少年

 

012s_6  

          川漁師親子

037s_6

           腕前

039s  

          上を向いて

|

2007年9月 4日 (火)

笑う門には福来たる

 朝、車で出勤の途中、広小路のおば(あ)ちゃんたちが4、5人ゴミステーションの脇に並んでいる。ゴミを出しに来てまた井戸端会議なんだろう、けれどもそれにしても横に並んで話すことはないのだろう、と怪訝に思いながら車は近づいていく。おばちゃんたちの視線は地震で全壊した住宅取り壊しの現場に向いていた。様々な思いを抱きながら、話をしていたのだろう。

 「オイオイ、朝から並んで、広小路の美人コンテストですか!」

 「まあ、ギャハハハ、やだねえ、ギャハハハ」

 

 

|

2007年9月 5日 (水)

政治の不在・参謀の不在

 毎日のように閣僚が辞め、議員が辞めていく。100%の人などいないのだからと同情したい気持ちもあるが、いずれにせよ政治に対しての思いを、幻滅、と同義語にとらえている国民も多いだろう。

 柏崎において、政治が感じられない。役所だけが機能し、政治の働きが感じられない。役人が決めたことを役人が決められたとおり懸命に動いている。展望が感じられないのだ。

 柏崎の大事に、市長にお願いをするだけの市会議員が多いという。

 政治は夢を与えられるものでなければならない。笑いを生み出す人間が政治に携わる事ができる。

 瀬島龍三氏がお亡くなりになり、参謀、という言葉の重みにスポットが当てられている。参謀の大切な役割は戦略を練ることである。柏崎には戦略も無い。

 組み立て行かなければならない。遠くを見て、骨の太い戦略を立てなければならない。疲れがたまる時期であろう。しかし、今、政治が機能しなくていつ機能するのだ。

 昨日お電話をいたただいた。原発の近くに住む方からである。ずうっと私と同じように原発を認めてきた方である。

 「原発をすぐに止めた?停止命令?何で避難させなかった?何ですぐに広報しなかった?何で安心させなかった?」

 政治の不在が怒りを導き始めている。

 

|

2007年9月 6日 (木)

柏崎・柏崎・柏崎

 オーストラリアではAPEC:アジア太平洋経済協力会議が始まった。閣僚会議を横目に中国の胡錦濤国家主席は、鉄鉱石鉱山を視察したり、また首脳会談が始まる前に、原発用のウラン輸入などに関するエネルギー協力協定を調印したり、戦略的である。カザフスタンのウランを日本:東芝に押さえられ、中国も経済発展の正に基盤となるエネルギーの確保に必死である。

 翻って全くミクロの話だが、上越市議会は先の地震に関して激甚指定を求める意見書を提出するという。上越は柏崎に近い柿崎区に被害が多かったのだが、激甚で外されてしまったのだ。

 重ねて申し訳ないが、柏崎はもっと必死さを出した方がいい。伝わってこない。今でなければ国に対して物を強く言い、柏崎のリーダーシップを発揮できるときはない。このままでは当然得るべき権利さえも失ってしまう。

 国に果たすべき責任を果たしてもらえるならば、市はその余力を被災者の生活再建支援に回すことができる。

 これも重ねて申し上げる。時間との勝負である。ますます柏崎の名はテレビ・新聞に出なくなった。

|

2007年9月 7日 (金)

今から7年前の柏崎市議会

 地域の会が頑張っている。

 原発賛成も反対も容認もみんな含め、市民が一堂に会し、議論する、意見交換する手だてがあってもいいのではないか。

 これは、私が当時の市長に議会本会議場で話したことである。どこか議事録に残っているはずだ。10年ほど前であろうか。それから何年かたって「地域の会」ができた。

 さて、7年前の柏崎市議会である。8月29日、東電の不祥事が明らかになり、プルサーマルの白紙撤回が決まった9月議会である。

 私自身は何を言っていたのだろうと振り返ってみた。

  *****************************

 また、立入検査、国の立入検査が週明け、土曜日、日曜日を挟んで週明けからと、こういった体制、感覚、余りにもお役所的であります。こういったことに対して、市長として、批判なり、また、抗議をしているのか、そういう手段、方法はないのかと。


 安全確保、地域住民の安全や安心の確保というのは、ある意味で、政治に課せられた一番の課題だろうと思うわけであります。それを即座に地元の市長が措置できるようなシステム、法体系を構築するべきであります。そのような要請を国に求めるべきであろうと思いますが、市長はいかがお考えでしょうか。


 具体的に申し上げるならば、安全協定の見直し、安全協定等も、私も久しぶりに見直してみました。残念ながら、そういった拘束力等ないわけであります。であれば、今後、安全協定を見直すつもりがないのかどうなのか。ほかの県においては、安全協定の見直しをなされているところはあるわけです。新潟県も行っておりますが、残念ながら、今回のような事態に対応し得るような見直しでは、新潟県の場合、柏崎市、刈羽村の場合はありません。1つ、情報開示への姿勢を含めても、そんな規定はないわけであります。


 そしてまた、先ほども申し上げましたが、余りにも今回の事件で問題になるのは、事業者へのペナルティーであります。確かに社長は、もしくは歴代にわたって、やめられる方向ができた。実質的なペナルティーがないじゃないかと。電気事業法、それから、原子炉等規制法、そういった中で、せいぜい罰金が30万円以下になる。もしかしたら、それも当てはまらないかもしれない。なぜだというふうに調べたならば、これは自主点検の作業の中の範疇だから、だから、もしかしたら、報告聴取命令拒否には当てはまらないかもしれない。もしかしたら、罰金さえも、30万円さえも払わないでいいかもしれないというような状況は、余りにもおかしい。地元の自治体として、これは架空のような話かもしれませんけれども、送電権は柏崎市に持たせろと、いざとなったらとめるぞというようなぐらいのスタンス、要求があってもしかるべきじゃないでしょうか。国、県との関係において、より一番身近な自治体が、より強い権限を持てるようにするべきであります。当然、国の、国にもかかわる問題でありますから、市の独断というふうには至らないんだろうと思います。しかし、余りにも今、一番身近な自治体の権限がないと考えるわけでありますが、いかがでしょうか。

 サイト内に原子力保安検査員がいらっしゃいます。保安検査員は、定検を含め、今までこういった作業を御自分の職務として行ってきていらっしゃるわけですけれども、市民の方々から、よく言われるのに、どうして保安検査員がいたのに、そういうのを見抜けなかったんだ、何のために、そんなものつくったんだという単純な論理であります。当然、言いわけもあるんでしょう、業務が違ったんだということがあります。しかし、保安検査員を設けた意味は、国によって、その安全が担保されるんだと。その現実として、保安検査員の制度が設けられたはずであります。それが機能しなかった。もしくは、もともとその機能を持っていなかったいうことであるならば、これもまた、極端ではあるかもしれませんけれども、柏崎市独自の検査体制を持つことも、もしかしたら考えなければいけないのかもしれない。人材が必要であるならば、原子力工学科を卒業したような、もしくは東京電力から引き抜くなり、もしくは必要であるならば、外国の検査機関から引き抜くなりしながら、柏崎市独自の検査機関も持つ可能性も考慮しなければいけないような事態に立ち至ってしまうのではないか、もし国の検査というものが機能しないなら、ということであります。

(平成14年9月10日 柏崎市議会一般質問から)

同平成14年9月議会にて可決された意見書である。延々と議事進行、質疑、討論。採決、可否同数、議長に判断がゆだねられた。議長、可決。

議員発案第17号 東京電力の企業倫理を問い、国の原子力安全政策転換を問う意見書(案)


 上記の議案を別紙のとおり議会会議規則第14条の規定により提出します。

                                   2002年9月20日


柏崎市議会議長 高橋照男様


 東京電力の企業倫理を問い、国の原子力安全政策転換を問う意見書(案)


 8月29日に露見した、東京電力株式会社のデータ改ざん、隠ぺい問題、また、長きにわたりそれに看過してきた国の無作為。今回の事象そのものが科学的、技術的、客観的に見て安全・危険であるかという論議は別のものとして、これだけ大きな問題に発展し、東京電力4代にわたる社長、担当副社長が辞任の道を歩まざるを得ない事態に立ち至ったのは、国民、とりわけ立地地域住民の信頼を裏切ったという社会的事実からである。国の責任も同様である。私たちが4年前に設立を要求した、新たな原子力規制機関が「原子力安全・保安院」として設立されたものの、いまだその機能が不十分で、役割を果たしていないことが明らかになった。私たち柏崎市民は、この問題を非常に重く、厳しく認識している。
 よって、下記事項を速やかに誠実に実行されることを求めるものである。その実行が全くなされない場合、私たちは今後、プルサーマル計画を含め、国の原子力政策、エネルギー政策に一切協力しないことを明言する。


                    記


1 東京電力柏崎刈羽
原子力発電所全7基のうち、既にとめられた1号機のみならず、今回問題となった2号機、5号機も直ちにとめ、安全の確認を行うこと。


2 国の原子力規制機関としての原子力安全委員会は「原子力規制委員会」に改名し、根本的に原子力安全・保安院は、その陣容を充実強化すること。とりわけ、原子力安全・保安院においては、資源エネルギー庁から離れた完全に独立した機関とすると同時に、高度技術に対応する専門官の養成に努めること。また、NRCなど外国の原子力規制機関との協力体制を組み、実効性があり、安心を創出できるような策を講じること。


3 3号機、4号機、6号機、7号機に関しては、可及的速やかに、順次、定期点検を前倒しし、その安全を確認すること。


4 安全基準の見直しに関しては、原子力施設を有する世界各国の実情を把握し、また、IAEAなど国際機関と十分に協議し、世界標準をつくり上げ、いたずらな完璧主義を廃した、合理的、客観的な安全、安心の確保に努めること。


 以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。


 2002年9月20日
                                         柏 崎 市 議 会


 理由


 東京電力の企業倫理、並びに国の原子力安全政策転換を問い、新たなる出直しを求めるため。


 このたび、朋友会会長 金子錦弥議員、市民クラブ会長 坂井隆雄議員、整風会会長 本間厚幸議員初め、多くの賛同者の名前をちょうだいし、本意見書を提出するに当たり、私どもの立場と考え方を明確にし、その提案理由を述べさせていただきます。
 私ども市民クラブ、朋友会、整風会は、3年前、平成11年1月11日、東京電力、並びに国・資源エネルギー庁に申し入れを行いました。高橋照男現議長、小池 寛議員、また、
原発議長会の顧問として丸山敏彦議員初め、多くの議員が上京いたしました。
 プルサーマル論議が、まさに、その2ヵ月後、意義を認め、容認するという内容で意見書が可決される間際のことであります。
 その際、上げた4つの条件のうち、1番目は、国における原子力安全審査機関の新設でありました。これは、既に、この数年前から申し上げていたことでしたが、あえてトップに上げた事項でありました。結果、原子力安全・保安院という形で実現がなされました。
 しかし今回、まことに残念ながら、その原子力安全・保安院が機能しなかったと断ぜざるを得ません。また、保安検査官制度も同様です。権限がなかった、事実でありましょう。しかし、含め、機能しなかったというわけであります。
 東京電力では、この際でしたか、別の折でしたか、私は、南社長、荒木会長お二人おそろいの場で、こう申し上げました。柏崎を裏切ったり、使い捨てのように見捨てたりしたら、絶対に許さない。まさに裏切られたわけであります。
 同年3月議会で激しい議論の末、容認の意見書は可決されました。1ヵ月後、私どもは家族を巻き込んだ厳しい選挙戦への突入を余儀なくされました。
 同年秋、戸田議員が、実行委員長を務められた第2回の
原発議会サミットでは、皆さんの議論の中で、その一致点として、国に対し、幾つかの点が要望事項として上げられました。(発言する者あり)皆さんの論議の中でと申し上げております。


 1、原子力安全委員会の抜本的見直し、中立的チェック機関として独立、質・量をともに充実した強い執行機関への改組。


 1、原子力機関への調査、査察に実効性を持たせ、抜き打ち調査の実施、違反時には重大なペナルティーを課すなど、厳しい態度で臨むこと。


 具体的な取り組みが国によって示されないまま、そして、先般8月29日、東京電力から発表がなされました。


 8月30日、私どもは早速、国、東電に申し入れに参りました。議員の皆様には、説明が足らず、不愉快を与えた面がありました。反省するものであります。しかし、簡単な言葉で申し上げるならば、どうにも我慢ができなかった。その際、阿部 博議員、吉野芳章議員も参加され、お二人からは、私どもは
原発プルサーマルは容認し、その意義は認めるが、今回の不祥事は許せない、との強い姿勢、発言をお聞きいたしました。また、高野 宰議員からは、容認する立場だからこそ、強い抗議をするべきだ、とのお立場をお聞きいたしました。


 6日の決議は、提出者の皆様もお話されているように、プルサーマルを未来永劫とめろとおっしゃっているのではないということであります。賛成された議員の中には、
原発プルサーマルの意義を認めていらっしゃる、明言していらっしゃる議員もおられます。私どもの意見書の提出が遅くなったというより、決議の方が早かったがゆえに、その一部の意味に同調されたというふうに、私どもは解釈をしております。


 9月6日の決議提出者は、
原発も反対、プルサーマルも反対であります、一貫して。しかし、時期はともかくも、議論するべき時期が来たら、その際には議論すればいいという態度にお聞きしました。具体的な時期、また、それにつながる指標は示していらっしゃいません。そして、プルサーマルの意義を認めている議員にも、賛成していただいても構わないとおっしゃる。結果、可決されました。(発言する者あり)
 静かにさせていただけます。

私どもは……。 主義者ではありません。東電、国、だめだと言って切り捨てることはすべてだとは思っておりません。それによって事が済むとは思っておりません。私のスタンスは……。(発言する者あり)
             〔「議事進行」と呼ぶ者あり〕

あともう少しですので、述べさせていただきます。
 私どものスタンスは、現実に対応し、厳しく注文をし、そして、早急に新たな組み立てをさせなければいけないという態度であります。もし、それができなかったならば、残念ながらエネルギー部門において、国には協力はできないという態度なのであります。つまり、それは新しい組み立ては東電や国がやることだという議論があります。第一義的にはそうです。しかし、(発言する者多し)私は何もしないでよいのかと、それは間違いです。今、現在、柏崎の
原発は動いているわけですから……。(発言する者あり)
             〔「議事進行」と呼ぶ者あり〕

あと7行です。
 私たちが求めるのは、まず何より動いている
原子力発電所の前で、東電、国に早急に態度や考え方、また、システムを改めさせるべきだという当たり前のことなのです。計画よりも、何よりも、そして、計画を含め、私どもの要求が全く実現に向け動き出さないとするならば、エネルギー政策において、原子力施策において協力できないという強い態度なのです。
 私どもは……。
         〔「7行超えてるだろう、もう。」と呼ぶ者あり〕

7行と言ってる。
 私どもは、既に4年前、国、東電とは激しい議論を行い、私たちの信頼の依拠するところの詳細を申し上げてまいりました。そして、この始末であります。ですから、この意見書は、私どもの最後通牒ととらえていただきたいと考えております。
 以上、終わります。(発言する者多し)

  ****************************

 今日はちょっと自己顕示だったね。けれども緊張感、責任感と先進的な意欲に満ちていたと思う。

|

2007年9月10日 (月)

安倍首相・白洲次郎・柏崎

 安倍首相がインド洋上における海上自衛隊の給油活動が行えなくなったときに内閣総辞職もありうると示唆したことが伝えられている。いわゆるテロ特措法の延長が国会で成立しなかったときのことで自分の意気込みを伝えているのだろう。

 むなしい。大変失礼な物言いだが、能力のなさを三文芝居でごまかそうとしているとしか思えない。日本の総理大臣が今このタイミングで発言するべき事柄、内容だろうか。新聞休刊日を狙ったの?合わせても一言で済まされる。センスがない。

 週末にかけて読んでいる本は。白洲次郎「プリンシプルのない日本」

 安倍さんのはプリンシプル(白洲によれば原則)に近づこうとするするだけ、背伸びをしているだけである。

 柏崎も同じ。本当に心の底から、腹の底から、頭を振り絞って、という情熱が見えない、感じられない。

 principal  主な、主要な、第1の、先頭に立つ  (研究社:英和中辞典)

  多くの事柄でこの状況を転ずることはできない。一点突破。それは原子力施策である。

|

2007年9月11日 (火)

姿勢を正す

 今日は秋晴れとなりそうである。だが、世間はどうにもパッとしない。

 国会が始まり、安倍首相が改めてテロ特措法改正成立に対する意気込みを語った。新法、衆議院での再可決も視野に入れるとのことである。

 参院選大敗の後、「改革のために私は辞めない」と大見得を切り、そして、1ヶ月ほどして、「職を賭す」、「職責にしがみつくことはない」

 言葉は大切であるというのは、賢者のみならず多くが知るところだが、「職責」とは「果たす」ものであって、「しがみつく」とか「しがみつかない」とかいうべきものではない。「がんばろう輝く柏崎」と同じで、どうにもトンチンカンである。

 柏崎農協職員による預金着服が昨日報道された。昨年は、観光レクレーション公社職員の不適切な会計処理があった。舛添大臣は年金の横領について刑事告発すると発言した。時効もあり、大臣の意気込みにどれだけの実効性が伴うのか心配だが、姿勢は正しい。背筋が伸びている。

 柏崎も前のめりにならず、下ばかり見ないで、姿勢を正し、前を見よ、遠くを見よ。そう願う。

|

2007年9月12日 (水)

日本のこと・新潟県のこと・もちろん柏崎のこと

 国際柔道連盟理事選で山下泰裕氏が敗れ、日本人理事がいないという事態に立ち至った。初めての事だという。新たに会長に決まったオーストリアのマリアス・ビゼール(48)氏は商業化を進めるという。

 全日空は新潟-福岡線を来春、運行を停止するという。

 新潟県並びに上越市は帝石とLNG基地建設確認書を締結した。

 先般、本屋で立ち読みした本。山と渓谷社「新潟県の山」:米山 お問い合わせ:上越市役所

 急げ。

 

|

首相の地位

 安倍首相の退陣表明。みんなが驚いた。退陣することに驚いたのではない。その表明、決断の時期、タイミングに驚いたのだ。

 政治家であることさえ辞めてしまわれるのではないか。しばらくの間多くの人たちが安倍氏を訪れた方がいい。

|

2007年9月13日 (木)

言葉の力 センス無き政治

 各新聞の中で印象に残った言葉。

 自民党の見識と活力なさこそが、今回の突然の政権放り出しを招いた要因ではなかったか。(朝日新聞社説)

 言葉の軽さ 政治の未熟 (日本経済新聞 1面)

 国民を”口説き落とす”首相の肉声をまだ聞いていない。言葉の力をもっと信じてもよかった。(讀賣新聞1面編集手帳)

 

 さて、柏崎

 柏崎市の第四次総合計画:基本理念「好きです 輝く柏崎」

 理念、というのではおかしい、それはキャッチフレーズだろう、という識者の指摘があったが結局決められてしまった。10年間、理念は「好きです輝く柏崎」 

 中越沖地震で柏崎が掲げたフレーズ 「頑張ろう 輝く柏崎」

 輝いているんだったら頑張らなくてもよいではないか、日本語がおかしい、という指摘があったが、これまた現在、柏崎中に掲げられている。

 言霊。言葉には魂が宿っている。奮い立たせるような言葉が聞きたい。勇気を与えてくれるような言葉が欲しい。本当にそう願う。

 

  

|

2007年9月14日 (金)

ガッカリする

 何事もうまくいかない時がある。今朝は、山に入ろうとしたら地震復興の工事中で導入路は通行止め、それではとウェットスーツに着替え、川に入ったら、どうにもおかしい。いつもいるところに鮎がいない。これはおかしい、と上っていくと友釣りをする先行者。あーあ。

 事務所に戻り、新聞を改めて読めば、自民党の総裁選。変わらないなあ。候補者が羅列されている。

 羅列じゃだめなんだよなあ。

 過日、自宅で地震後の整理をしていた。(まだ、している) もう既に20年以上前に亡くなった祖父の本棚を整理した。おもしろい本がたくさん出てきた。その中の一つ、新渡戸稲造の「修養」  虫干しをしながら読み進めている。

  一事に通ずれば萬事に適用さる。

 柏崎もまだ一事の見極めができていないようである。

 

 

|

2007年9月15日 (土)

自民党総裁選に見る「地方」

 羅列されているのは、候補者ではなくて派閥になってしまった。

 小泉改革によって、(実はなんだか分からないが)、市場原理主義の行き過ぎによって、ごく一部の富めるものと絶対多数の貧者とに分けられ、「格差」が広がってきたという。この場合、所得格差を言うのだろうか。

 また、首都圏をはじめとする「都会」と「地方」の地域間格差も広がっているという。

 様々な数字を見せられれば、そうじゃそうじゃ、格差だ格差だ、と言いたくもなるし、思いたくもなる。ただ、雪崩をうったように皆が「地方重視」をお題目に掲げるのはありがたいが、眉につばしなければならない。

 今朝の朝日新聞文化面

 「この行動の無責任を批判することは容易だが、首相をもっぱら人気投票の対象とし、人気が落ちれば使い捨てる今日の政治風土の中で、一体、誰が安倍氏の無責任を批判する資格を持つのだろうか」(佐伯啓思:京都大学教授)

 自らが本当に、真に、ズウッと考えていることを訴える、自分の言葉で語る政治家がいて欲しい。それは演説を聴けば分かる。

|

2007年9月18日 (火)

柏崎が行うべき事

 長男は定期試験の最中。「お父さんは、・・・・」とつい口に出してしまった。すかさず、「僕はお父さんとは違う」 彼には申し訳ない気持ちと大人になっているんだなあ、と言う感慨と。

 次男の学童野球、公式戦が終わった。彼なりによく頑張ったと思う。今、野球を続けるかどうか迷っている。

 三男は相変わらず屈託がない。

 ルー大柴のコメントが日経に掲載されていた。嫌われタレントの代表格である彼の、ご長男への言葉。

「パパのせいで学校でいじめられていないだろうな?嫌だったら言ってくれよ。こんなキャラクター、すぐにやめるから」息子さんはそれを否定する。ちょっといい記事だった。

 それにしてもスカッとすることがないですね。政治でも経済でもスポーツでも文化でも。国民のカタルシスはいずこで求められるのか。

 同じく日経のページをめくると「柏崎刈羽『中越沖』の教訓」「原発の耐震再評価急務」とある。

 間違ってはならない。耐震補強論議の前にするべき事がある。柏崎刈羽原発が活断層の上に、もしくはごく近くに建てられていたという事実を考えなければならないのだ。柏崎刈羽原発の近くに活断層は無い、とされてきたのだ。大前提を忘れてはいけない。この責任は国にある。

 日本は活断層の上の、もしくはごく近くの原発を耐震補強さえ合理的なものであるならば認めるのか否か、という論議である。

 大きな論議を忘れては困る。見て見ぬふりはなお困る。難儀だが大きな論議を避けてはいけない。

|

2007年9月19日 (水)

にもかかわらず柏崎

 地震から2ヶ月が過ぎ、報道は落ち着きすぎるほど落ち着き、というか、既に柏崎に関心はない。にもかかわらず原発が抱えた課題は余りにも大きなものである。

 昨日も書いたし、このブログを始めた当初、つまり1ヶ月前、「中越沖地震と柏崎原発」「柏崎ならばできる2007」でも書いた。

 しかし、事態は余りにも軽いものとして扱われているような感じを禁じ得ない。もしくはそれに触れまいとする意志が見え隠れする。通り一遍の議論しか聞こえてこない。

 ここで紹介するのは英国経済紙「フィナンシャル・タイムズ」東京支局長:David Pilling 氏の配信記事である。

 原発からあがる黒煙を書き、

 「The plant's four firefighters could not put out the flames because water pipes had - surprise, surprise - been damaged by the earthquake.  プラント内の4人の消防士は消火活動をできなかった。さらに、全く驚いたことに、驚きでしかないが、その原因は消火用のパイプが地震により損傷を受けていたことであった」

 「aftershocks suggested an active fault might run directly under the plant. 活断層がプラントの下まで直接的につながっている可能性を余震が示している」と指摘している。続いて日本にある原発55基を世界でも最も活発な地震地域におく事への疑問を極めて婉曲的に続けている。

 更に、文章のまとめとして、2つの課題を書いている。

 「The first is about regulation.まず第1に規制の問題である」
 「aggressive regulation by the government will persuade the public that everything is being done to mitigate possible accidents. 政府による前向きな規制がなされなければ起こりうる事故に対し万全を期していると国民を説得できない」

 「The second question is more fundamental: should Japan have a nuclear industry at all?  2番目はもっと根本的なものである。日本は原子力産業を保持しうるべきか否か、ともいうべきものである」

 と書き、エネルギーに乏しい、という観念の中、

 「That means that, while the government will now engage in a thorough review of how to improve nuclear safety, the debate about whether Japan should have a nuclear industry at all will never be held. こうしたわけで、日本政府は原子力の安全性についていかに改良を加えるかということについて懸命な検証に入るが、日本が原子力を持ちうるべきか否かという議論は今後とも決して行われないだろう」

 と痛烈な皮肉で文章を結んでいる。

 その通りなのだ。根本論議が必要なのだ。 

 前にも書いたが、その結果、国民が覚悟を決め、それでもはやり、にもかかわらず、原発が必要だとするならば、柏崎はもっと大きな声を出さなければならない、もっと堂々と大きな要求をしなければならない、柏崎はリーダーでなければならない、と再三再四私は書いているのだ。桜井雅浩の問題ではない。柏崎の問題であり、日本の問題なのだ。

 

|

2007年9月20日 (木)

 新聞スポーツ欄はヤクルト古田の引退を伝えている。私自身は古田に強い思い入れがあるわけではない。「いいヤツだなあ」とか、選手会も引っ張り、「やるなあ」という感じは持っていた。捕手としても1流の選手だったのだろう。けれども、私がイメージするスターとはちょっと違うイメージであり、物足りなかった。「いいヤツ」で私の頭の中は終始していた。

 ただ、昨日の引退会見。言葉に詰まる古田、彼の涙。「寂しさより悔しさ」 分かるなあ。

 一昨日のテレビであったか。飲酒運転事故の被害者で、一瞬にして3人のお子さんを亡くされたご夫妻に新しい命が、というニュース。分娩の姿を映像が伝えていた。苦しむお母さん、女の子が生まれた瞬間、号泣、涙。付き添いのお父さんも泣いていらっしゃった。お二人の涙は、悲しみであり、喜びであり。

 昨晩の野球、ヤクルトは負け、パ・リーグでは日ハム・ダルビッシュ、楽天・田中が投げ合った。ダルビッシュ21歳、田中将大18歳。球界を背負っていく彼らは古田の涙を見ていたのだろうか。

|

2007年9月21日 (金)

謝意 笑止 しょうしい 柏崎

 柏崎の方言に「しょうしい」という言葉がある。恥ずかしい、という意味である。終助詞「て」をつけて、「しょうしいて、こんがことになって」と使う。

 自衛隊の給油活動を継続させるため、国連決議の前文に「謝意」を入れるよう日本が関係諸国に「頼んだ」、という。結果として、ロシアはアメリカ主導の作戦は国連に関するものではないと、棄権。決議は採択されたが、慣例となっていた全会一致は破られた。

 民主党対策だったのだろうけれども、日本の外交史なるものがあったとするならば、間違いなく、汚点である。

 日経の社説はこの決議に価値をおいているようだが、私にはミスリードのように思える。ロシアの主張「国連の枠外で行われているものだ」によって、図らずも事実が明らかになった。

 朝日の社説「形より本質の議論を」の方がふさわしいと思う。柏崎にも求められる。

 ちなみに「しょうしい」は「笑止」から由来していると思われる。

 「謝意」を「求める」「頼む」 

  全く笑止千万である。

|

2007年9月24日 (月)

私が親としてしたこと

 今回の連休は次男の野球が終わった後、家族でキャンプに出かけた。湖畔のキャンプ場はいつも通り静かで、コナラの葉陰がつくるサイトは私のお気に入りでもある。いつものように、テントを立て、子どもたちは周辺から薪となる枯れ木を探してくる。

 どんどん燃やす。火を見ていると落ち着く。子どもたちも火を見つめている。私と女房はビールを飲み、食事の準備をする。やがて、いったん、火を落ち着かせる。肉を焼くためだ。その頃、私は2本目の缶ビールを飲み干し、3本目を開ける頃だ。

 腹を満たした子どもたちはまた飽きることなく火遊びに興じる。闇が深くなり、肌寒さを感じる頃、子どもたちは、3男から順にテントに入る。私は、長男や女房がテントに入ってもなお、火を見ながら酒を飲んでいる。

 長男が生まれてからもう何回キャンプに来ただろう。10回、20回?

 私が親として、父親として、子どもたちに教えた唯一かもしれない。そして、それは私として十分満足である。ただ本当は、誇り、も伝えたいのだ。

|

2007年9月25日 (火)

大原則

9月21日新潟日報の1面を飾った記事である。 

  被災者支援に与野党案提出へ

 地震などの被災者に支援金を支給する被災者生活再建支援法で与党が今国会に提出する改正案は、7月に発生した中越沖地震の被災世帯にはさかのぼって適用しないものとする方向であることが21日までに分かった。改正案は支援金の使途を住宅本体の建設にも広げることなどが柱。本県では中越地震以来の懸案となっていたもので、早急な改正と中越沖地震被災地への適用を求める声が高まっていた。

 一方、民主党は中越沖にも適用する独自の改正案を提出する予定で、今後は国会での論戦が焦点となる。

 ************************

 一体この国は何を考えているんだろうか。柏崎市は何を要望してきたのだろうか。中越地震の教訓で、使い勝手が悪いとされ、改正が考えられ、けれども、今回の「中越沖地震」には「間に合いません」 何回繰り返せば、もっともなものはできるのだろうか。その間、どれくらいの人が悲しみ、不安を抱き続けなければならないのだろう。

 個人の財産形成に「公」は関知しない、という大原則がもっともらしく存在している。財産形成?

 大原則

 活断層がある上には原子力発電所を建設しない。

 今朝の新潟日報に、坂本龍一氏らミュージシャンが始めた「おやすみなさい、柏崎刈羽原発」ウェブサイトを紹介する記事が掲載されていた。

 大原則に関する「ねじれ」が存在する。

 本当に必要とするならば、大きな議論を行っていかなければならない。小さなものを何回行っても意味無いことである。

|

2007年9月27日 (木)

ローマ人の物語・柏崎の物語

 久しぶりに「ローマ人の物語」を読み進めている。文庫版27巻「すべての道はローマに通ず」

 塩野氏は、

 古代に生きたローマ人は「公」と「私」の区分を、どのように考えていたのか。そして、この疑問への解答は、これらローマ人が、「人間らしい生活をおくるためには必要な大事業」と定義していた彼らのインフラをとりあげることで、得られるのではないかと考えた。

 地震後の柏崎。今まで通りのことが、今まで通りやられている。被災者生活再建支援法改正は「遡及適用しない」とのことで、市長らが知事に陳情したようだ。遅い。政府の方針が出される前に、しっかりとした裏付けをとっておかなければならなかった。

 だからこそ、「原子力施設立地地域災害復興支援特別措置法」を私は求めていたのだ。

 このまま行けば、電源特会の剰余金さえも使えない。また、原子力規制機関の独立さえ全く見当も付かないだろう。

 福田首相が就任の会見でおっしゃっていた。

 「年金の問題は、きわめて大きな問題であったというように思っております。これは、一年金の問題というよりかは、政府に対する信頼を失ったこと、それは国家への信頼を失ったことにもつながるというようにも思っております」

 正にその通り。原子力問題についても同様。国のエネルギー政策を担ってきたのだ。活断層がない、というところに原子力発電所があったのだ。

 「公」「政府」「国家」への信用。もう一度考え、柏崎として、正当な要求を、時を逃さず(既に逃しているが)、大きな声で、堂々と述べて頂きたい。

|

2007年9月28日 (金)

根本から

 新潟県議会、自民党の県議が柏崎刈羽原発の廃炉の可能性を問い、知事もその可能性を答弁する。どんないきさつがあったのか知らぬが、従来無かったことである。

 国会では民主党が被災者生活再建支援法の改正案を参院に提出した。中越沖地震や能登半島地震にまで遡及する内容だ。

 昨日、原発構内を、原子炉建屋内を見てきた。ソウテイナイ、であった。東電幹部にも先般来申し上げてきたが、繰り返した。

 「今回の事態は、東京電力、柏崎、日本のエネルギー供給・セキュリティに関し、存亡の危機、もしくはそれにつながる可能性を帯びた事態だと考えています」

 「地盤の問題です。旧指針では活断層の上に原発は建てない、とされていました。改訂された指針ではそのような記述はありませんが、どのように考えていけばよいのですか」

 「耐震補強はコストとも大きく関連すると思いますが」

 いずれにせよ、柏崎市議会特別委員長丸山氏の発言の通り、「政治」が求められている。根本的なところから考え直さなければならない。無論、安全であるために、というのが出発点である。

 

|

« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »