« 柏崎が行うべき事 | トップページ | 涙 »

2007年9月19日 (水)

にもかかわらず柏崎

 地震から2ヶ月が過ぎ、報道は落ち着きすぎるほど落ち着き、というか、既に柏崎に関心はない。にもかかわらず原発が抱えた課題は余りにも大きなものである。

 昨日も書いたし、このブログを始めた当初、つまり1ヶ月前、「中越沖地震と柏崎原発」「柏崎ならばできる2007」でも書いた。

 しかし、事態は余りにも軽いものとして扱われているような感じを禁じ得ない。もしくはそれに触れまいとする意志が見え隠れする。通り一遍の議論しか聞こえてこない。

 ここで紹介するのは英国経済紙「フィナンシャル・タイムズ」東京支局長:David Pilling 氏の配信記事である。

 原発からあがる黒煙を書き、

 「The plant's four firefighters could not put out the flames because water pipes had - surprise, surprise - been damaged by the earthquake.  プラント内の4人の消防士は消火活動をできなかった。さらに、全く驚いたことに、驚きでしかないが、その原因は消火用のパイプが地震により損傷を受けていたことであった」

 「aftershocks suggested an active fault might run directly under the plant. 活断層がプラントの下まで直接的につながっている可能性を余震が示している」と指摘している。続いて日本にある原発55基を世界でも最も活発な地震地域におく事への疑問を極めて婉曲的に続けている。

 更に、文章のまとめとして、2つの課題を書いている。

 「The first is about regulation.まず第1に規制の問題である」
 「aggressive regulation by the government will persuade the public that everything is being done to mitigate possible accidents. 政府による前向きな規制がなされなければ起こりうる事故に対し万全を期していると国民を説得できない」

 「The second question is more fundamental: should Japan have a nuclear industry at all?  2番目はもっと根本的なものである。日本は原子力産業を保持しうるべきか否か、ともいうべきものである」

 と書き、エネルギーに乏しい、という観念の中、

 「That means that, while the government will now engage in a thorough review of how to improve nuclear safety, the debate about whether Japan should have a nuclear industry at all will never be held. こうしたわけで、日本政府は原子力の安全性についていかに改良を加えるかということについて懸命な検証に入るが、日本が原子力を持ちうるべきか否かという議論は今後とも決して行われないだろう」

 と痛烈な皮肉で文章を結んでいる。

 その通りなのだ。根本論議が必要なのだ。 

 前にも書いたが、その結果、国民が覚悟を決め、それでもはやり、にもかかわらず、原発が必要だとするならば、柏崎はもっと大きな声を出さなければならない、もっと堂々と大きな要求をしなければならない、柏崎はリーダーでなければならない、と再三再四私は書いているのだ。桜井雅浩の問題ではない。柏崎の問題であり、日本の問題なのだ。

 

|

« 柏崎が行うべき事 | トップページ | 涙 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事