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2007年10月

2007年10月 1日 (月)

柏崎に進取を!

 地震後見失っていたステッドラーのペンが見つかった。何気なく女房が使っていた。全く油断も隙もならない。桜井雅浩的に言えば、あと見つかっていないのは「政治」である。

 形ばかりでは意味がない、というか、かえってマイナスである、とここ何年も書いているが、更にその感を強くする日々である。

 「ローマ人の物語」28”すべての道はローマに通ず” は、インフラを書いているのだが、街道から、水道、医療、教育に入ってきた。

 社会基盤の整備はどの政治家も訴えることだが、カエサルは法に記す。

 「医療と教育にたずさわる者にはローマ市民権を与える」

 ローマ市民権そのものに魅力、価値を見いださなければ、この法は詮無きことなのだが、現代にも当てはまる。

 医療と教育は人を集める。少なくとも流出を妨げる。

 柏崎が今なさなければならいのは二つ。足元を見て、遠くを見据え。

  •  「原子力施設立地地域災害復興支援特別措置法」
  •  原子力安全・保安院の独立、原子力安全委員会の権限強化

これだけである。

 政治とはプラスアルファである。法が規定したものの「上」を行かなければならない。進取でなければならない。

 うちの女房はそういう点で正に「進取」である。「新種」ではない。

 

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2007年10月 2日 (火)

杭を打たれるな

 日銀の短観が発表された。「先行き懸念強まる」(讀賣新聞)、「県内景況感、2期ぶり悪化」(日経新潟版」

 業況判断の指数DIは製造業、非製造業ともに大企業と中小企業では判断が大きく異なる。設備投資の計画など、大企業と中小企業ではその「格差」は大きい。

 ゆうちょ銀行が誕生し、再編を終えたと思われた銀行も再々編もあり得る。地銀や信用金庫、信用組合の再構成も考えられるだろう。流通業界、電機業界なども「老舗」といわれる企業が新たな枠組み作りを決断し、速やかに実践している。

 県内は、柏崎を中心とした中越沖地震復興に関して、建設業での特需が期待されるが、2.3業者に伺えば、予定されていたものを先送りして、利幅が薄い復興事業を受けている側面もある、中越地震特需のあと、今こそ、業界の再編が必要だと思われたが、「沖」地震でまたその機会を逸しつつある、という極めて冷静な分析を聞かされた。

 企業も自治体も生き残りのために「ゆうちょ」うに構えていられない。地震で忘れがちだが、大学の問題など柏崎にとって重要な問題が残されている。旧トルコ村やぶどう村への対応もまた忘れられない。柏崎の事情で世の中は動いていない。役所の中で考えるほど流れはゆったりとしたものではない。速い。速い。米山に「米山山頂 993m 上越市」と杭を打たれた柏崎市。しっかりして頂きたい。

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2007年10月 3日 (水)

思惑と発想

 人の思いを推し量ることは難しい。それぞれに難儀を抱えているのだから、たとえ自分の子どもであっても、本当のところを理解はできない。本人では無いのだから。ただ、それを少しばかり補いうるところに想像力がある。想像力は創造力につながっていると確信している。

 前にも書いたし、前市長に以前話したことを覚えている。「市の職員は、心理学を勉強した方がよい」 無論学問としてのものを学ぶべきだと言っているのではない。相手が、今の場合住民であるが、どのように感じるか、どんな気持ちでいるか、という立場に立っての言動であるべきだ、という意味だった。

 私自身も言動については甚だ反省が多いわけだが、それを差し引いても、昨今「思惑」を含んだ言動、言葉が本来意味するところが大事なのではなく、発言そのものに意味をおいているかのように見受けられる事が多い。

 県議会での「原発廃炉論議」や今朝の新潟日報、「国の災害対策本部は県に」とか「ボランティア受け入れを巡る柏崎の対応批判」といった知事の発言などには何か言葉以外のものを感じる。

 私は思惑だけで動く今の状況を暗く感じる。思惑は柏崎を良くすることはない。想像力である。発想である。

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与謝野馨さん

   午前中、yahooで検索しようと思ったら、右脇のトピックス欄に与謝野馨さんの言葉が見出しとなっていた。本来の目的を忘れて、そちらをクリックした。

政局になると、頭が悪いなと思っていた人たちが急に頭を回転させて、思いもかけない行動に出たりする」

 なるほどなるほど、私が先ほど書いた内容を簡潔に書いてある。ふむふむ、と感じていたら、私の親友ブログにも紹介されていた。機先を制され、後追いは格好悪いが、私も掲載しておく。毎日新聞の特集ワイドである。

 http://mainichi.jp/select/seiji/news/20071002dde012010011000c.html

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2007年10月 4日 (木)

まあまあ

 白洲次郎を読んでいると合点がいくことばかりなのだが、少し離れてみると、白洲が生きた60年前から何ら変わっていない日本の姿があり、愕然とする。

  ****************

 よく日本人は「まあまあ」って言うんだ。「まあまあ」で納めるのもいいんだよ。妥協ということに僕は反対するわけでも何でもないんだ。妥協は妥協でいいよ。だけども、ほんとの妥協ということは、原則がハッキリしている所に妥協ということが出て来るんでね。日本人のは妥協じゃないんだ。単なる頬かぶりですよ。

  ****************

 柏崎も「頬かぶり」が続いている。時代を前に進めなければならない。覚悟が必要となる。

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2007年10月 5日 (金)

狭い門

 朝から当事務所の周りでは、キリスト教布教の街宣が聞こえる。私の机の前には4年前に行った本屋のしおりが張ってある。

   Photo_2

 

  随分狭い門から入ってきたけれどもなあ。

   

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2007年10月 8日 (月)

似て非なるもの

 3年前の中越地震で開設した義援金口座への入金が、今回の中越沖地震後、30倍から40倍になっていることが明らかになった。今朝の讀賣新聞が書いている。

 今回の「中越沖」地震と間違えているものと推測されるが、窓口になっている新潟県によれば、明らかに間違っていると分かるとき以外は「別々のものとして募っているのだから」とそれぞれのものとして扱っているらしい。

 地震名を考えるときの判断ミスである。

 その記事の下に、愛知県稲沢市で開かれた「サンドフェスタ2007」の写真が出ていた。柏崎で作られたものになんかよく似ている。

 3年前に私が市長選に立候補したとき、記者から聞かれた質問、「今までの市政と同じじゃないか、という批判がありますが」 私の答えはこうだった。

 「似て非なるものです」

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2007年10月 9日 (火)

似て非なるもの 2

 ハッピーマンデーと呼ぶのか、9月、10月と3連休が続いた。主に次男の野球で終わったわけだが、合間に山にも行って来た。下の写真は期待の一品だった。

 Photo

 山を出てきて、収穫無く、林道をとぼとぼ歩いていくと、このキノコ、「おお、神よ、私を未だお忘れではなかったのですか!」鼻を近づけると「松茸の香り!」「これは念願の松茸か?しかし、松はないなあ、雑木だ。うーん、菌が飛んで来たのかもしれぬ」周りに誰もいないことを確認し、そっと篭に入れた。

 家に帰ってきて、図鑑を見る。「うーん、違うなあ。しかし、香りはよい。これはマツタケモドキかもしれぬ。ふむふむ」

 翌日、博物館のキノコ鑑定会に行ってきた。ズラッとキノコが並んでいる。私のキノコは見あたらない。博士にお見せする。

 「いいにおいなんですけれども」
 「ああ、これね」
 博士は私の手を取るように片隅に導いていく。
 「毒キノコです!」「今年は良く出ているんです」
 「いいにおいなんですけれども」
 「そうですねえ、私も以前採ったことがあります。車の中に忘れていたら、とんでもない臭いが充満していました。ちょっと古くなるともう異常な臭さです」
 「・・・・・・・・・・・」「ハイ」
 

 名前はクサハツモドキという。厳しいですなあ。

 

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2007年10月10日 (水)

ハッピー 元々

 秋晴れである。体育の日、特異日である。現在体育の日は10月の第二月曜日ということになっているが、ご存じの通り1964年の東京オリンピックの開会式の日、つまり10月10日が元である。

 休日が増えることはいいが、元々を忘れるのは歓迎しない。そのうちにハッピーチューズデイやハッピーウェンズデイが出来て、いよいよ日本列島脳天気となりそうだ。パチンコ屋のCMみたいである。

 ところで我が家の愛犬はハッピーという。毎日、毎朝、ハッピー、と呼びたいものだからそう名付けた。私は脳天気の総本山である。そのハッピーは既に16歳でかなりの老齢である。今朝は、というより、夜半過ぎから鳴き始めた。近所の方々の迷惑もあるので、午前1時、3時、3時半、5時と寝床を離れ、外にある犬小屋まで成敗しに出かけた。介護保険の適用を申請しなければならない。

 いずれにせよ、自分、元々、基本、ベース、忘れてはいけないと思う。新潟日報が1面に連載している原子力発電に関するものは良い。今朝ものは特に良かった。

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2007年10月11日 (木)

柏崎が頑張れ!

 昨日の記述で、新潟日報の記事について書いたが、どんな内容だったかを書かなかった。不親切であったので、加える。

 「安全に止まったことと、再び動かすことは別の問題として考えるべきだ」
 「柏崎刈羽では、ほぼすべての機器で想定値を超えた。『安全余裕がある』で済ませてはいけない」

 という独立行政法人原子力安全基盤機構職員の発言を紹介している。

 今朝は、国の調査対策委員会委員長の発言を書いている。

 「耐震補強は当然やってもらう。ただし、今回の680ガルに対応するだけでは駄目。例えば800ガルでも大丈夫ということを保証してもらう」

 すべてその通りであり、私にとって見れば最低線だ。

 同じく今朝の新潟日報2面。その原子力安全基盤機構が「耐震安全部」を新設して、原発地盤などを評価する、と伝えている。また、IAEAによる国際的な耐震安全基準の策定にも協力する、と伝えている。歓迎したい。

 IAEAに関しては、6年ほど前に「維持基準」が問題となった時に訪問している。「日本の基準のみならず、世界の基準があるべきだ」と当時IAEAに勤務していた友人を頼って訪ねたのだ。

 今回の地震・地盤という課題は日本にとってかなり突出したものだと思われるが、それでも国際的な基準があってもしかるべきである。

 米国NRC、スウェーデンSKIなどの規制機関を訪問したときにも共通して感じたことは、強い権限、そして大きなリスクを抱える原子力を規制する事に誰にも文句は言わせない、というような誇りだった。

 私が再三書いているのは、日本において、それを導くのは、それをつくりあげるのは、柏崎でなけれならない、ということなのだ。特別措置法制定とともに、柏崎が頑張れ!柏崎が吠えなくてどうする!

 昨夜は、ハッピーが吠えることなくよく寝たので私も熟睡であった。I'm happy.

 

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2007年10月12日 (金)

20年前・30年前

 オール柏崎陳情団が本日永田町、霞ヶ関を練り歩く。既に柏崎のことなど忘れている住民諸氏を起こしてきて頂きたい。

  さて、秋とは「飽き」の季節である。春、心がふくらみ、それを「張る」と言い、芽生えた恋は夏、熱くなり、そして、鹿の無く声は、悲しき失恋の涙である。と女子美で教えていたのは既に20年以上前である。私も東京を離れ、既に17年となる。様々なことがあって、東京もどんどん変わっていく。来週、随分久しぶりだが上京する。お上りさんである。友人・知人たちとの酒も楽しみである。また、江戸東京博物館で開かれている「文豪・夏目漱石展」も楽しみである。

 その漱石が書いている。

 現今日本の社会状態と云うものはどうかと考えてみると目下非常な勢いで変化しつつある。それに伴れて我々の内面生活と云うものもまた、刻々と非常な勢いで変りつつある。瞬時の休息なく運転しつつ進んでいる。だから今日の社会状態と、二十年前、三十年前の社会状態とは、大変趣きが違っている。違っているからして、我々の内面生活も違っている。すでに内面生活が違っているとすれば、それを統一する形式というものも、自然ズレて来なければならない。もしその形式をズラさないで、元のままに据えておいて、そうしてどこまでもその中に我々のこの変化しつつある生活の内容を押込めようとするならば失敗するのは眼に見えている。   「中身と形式」(明治44年)

 

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2007年10月14日 (日)

似て非なるもの 3

 キノコの世界は奥が深く、複雑だ。好天に誘われ、昼休み、と称して2時間ほど山に入る毎日である。9月の残暑が影響しているのか、私の腕が悪いのか、収穫は少ない。

 一昨日、シロハツ、とおぼしきものを採ってきた。お吸い物にピッタリ、と物の本に書いてある。「それそれ、今晩は、永谷園じゃないぞ」と意気込んでいた。しかし、もしやと思い、博士に尋ねた。曰く、

 「桜井さん、これねえ、カワリシロハツ、と言ってね、辛くて、大変辛くてね、食べられませんよ。残念」

 キノコの世界には、何々モドキ、とか、カワリ何々、とか、ニセ何々、とか多いんだよなあ。何れの世界も難しいですなあ。

 新聞に紹介されていた寺田寅彦。夏目漱石から教えてもらったこと二つ。 

「自然の美しさを自分の目で発見すること。人間の心の中の真なるものと偽なるものと見分け、そうして真なるものを愛すること。この二つである。」

  Kawarisirohatu_3s
            カワリシロハツ

   Rindou_1s_2
            竜胆 リンドウ(本物)

 健胃生薬である。本物は苦いのだ。

 

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2007年10月17日 (水)

新潟県柏崎市の桜井雅浩です

 2泊3日で東京へ行って来た。目的は二つ。一つは東大で開かれたグローバルCOEプログラム、「世界を先導する原子力教育研究イニシアチブ」に参加するため、もう一つは江戸東京博物館で開かれている、文豪・夏目漱石展を見てくるため。

 前者は原子力委員会委員長も原子力安全委員会委員長も出席していらっしゃった。研究者たちが中心の会なのだが、要は、科学技術の最たるものである原子力発電とそれを受け入れる一般的な知識しか持ち合わせない私たち国民からなる社会がいかに調和できるか、と言うテーマであった。技術者の立場、教育者、研究者の立場からいえば、高い専門性を伴った、必要にして欠かすことが出来ない技術を、いかにより分かりやすく国民に伝えていくのか、信頼を得ていくのか、それを為さずして、原子力の将来は成り立たない、と言うことなのだろう。

 私も、安全委員長に質問してみた。

 私は柏崎の桜井雅浩と申します。3年前まで市議会議員をさせて頂いておりました。約14年です。その間、原子力、また核燃料サイクルを認める、と言うと僭越な言い方ですが、理解する立場で活動してきました。質問は二つあります。

 一つは、今回の中越「沖」地震において、原発に関わるものの中で、私にとって一番重要だと思われるのは、地盤に関するところです。旧指針の上では活断層の上には原子力発電所は建てないと書かれています。しかし、今現在、柏崎原発が活断層の真上かそうでないかは別として、ごく近くに活断層があることがまず間違いないところであると認識しています。確かに新しい指針では活断層の上に云々という記述はありません。地震が起こったときにそれに耐えうるような構造設計を、という書かれ方だと思います。私はそれはそれで理解できます。しかし、柏崎原発は旧指針に基づいて建てられたものです。活断層の上には原発を建てないと書かれていた、それを前提にしていたわけです。私は、こういった事態をどのように理解していけばよいのか分からないのです。教えて頂きたい。

 二つ目は、原子力規制の問題です。今回のシンポジウムは「社会と原子力との調和を目指して」というテーマで開かれています。私は、前から、原子力安全・保安院と原子力安全委員会とのダブルチェックと言われるものは見直した方がよいと言い続けています。原子力安全・ナカグロ保安院はリンナイ、パロマの案件も扱うところです。原子力専門の規制機関ではありません。また、名は体を表す、と言うことではありませんが、原子力アンゼン保安院、原子力アンゼン委員会、ご存じの通りアメリカは原子力規制委員会です。私は、アンゼン委員会もキセイ委員会に変え、陣容を強化し、執行力を持った、三条委員会にするべきだと考えています。そのほうが長い目で見たとき、日本の原子力を良い方向に向かわせるのではないかと思うのです。こういった原子力規制の組織体系について、代表するお立場でどのように考えておられるかお聞かせ願いたい。

  

 以上のように発言した。(思い出しながらなので正確ではない)答えは丁寧に頂いたのだが、録音しているわけではなく、人様の発言なので、書かない。印象として、一つ目の答えは、答えるのも苦しいなあ、という印象。二つ目の答えは、検討の余地あり、という印象。

 経産省や総務省の方々とも話してきたが、残念ながら私が、今現在、どうにも解決できない、組み立てられないでいる課題への答えを聞くことは出来なかった。残念であった。私は、地盤、活断層に関する国も明確な説明が旧指針との関係において為されない限り、率直な言葉が聞かれない限り、「止める」「冷やす」「閉じこめる」の三原則が機能した、大丈夫だったではないか、想定震度を超えても安全余裕を何倍も見込んであるので大丈夫なのだ、という説明が聞かされても、それは単なる結果オーライじゃないか、それではいかにもお粗末だろう、という感想しか持ち得ない。それが、私がかつて「アナーキストでも無い限り最後には国を信じるしかないじゃないですか」と言った「国」なのだろうか。先進国と呼ばれる、日本の答え方なのだろうか。

 「活断層というのは、それが地上に露出するようなものをいうのであって、地下十何キロにあるようなものは活断層と言わないのです。そういう理解だったのです、旧指針は」 、といわれても、それは単なる詭弁であって、もしそうであるならば、その時点で分かりやすく伝えておくことが国に求められていたはずだ。

 夏目漱石展に行って改めて気づかされたこと。

 漱石の自筆原稿を見ても書簡を見ても絵を見ても蔵書を見ても、漱石の人となりを感じることが出来るだけであって、バックグラウンドを知ることが出来るだけであって、漱石の文学、思想を理解は出来ない、という当たり前の事実だった。漱石の本を読まなければならない。

 本にすべてがある。原子力発電所の問題も本質を考えなければならないと思う。そのことが柏崎のためになる。敢えて書けば柏崎経済にも資することとなる。

 3日間、友人・知人と交わした会話は、頂いた示唆は、何よりであった。本当にありがとうございました。

 

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2007年10月18日 (木)

新潟日報頑張れ

 昨夜、2日分の新潟日報を読んだ。

 17日2面、耐震審査  鈴木原子力安全委員長に聞く

  「可能なかぎりの、科学的な知見、知識に基づいて審査しているが、自然現象はわからないこともあるということをあらためて思い知らされた」

  「設計の基礎となる基準地震動について『超えるはずはないので耐震安全性は確保される』と単純化された説明をしてきたことに問題がある。原発は安全上の余裕を見込んで設計、建設している。これを含めて総合的に耐震安全が確保されているということをきちんと説明してくるべきであった」

 正直なところなのだろう。私の質問についても同じような答えであった。

 私は、だからこそ原子力規制委員会にして執行権を持たせるべきだと申し上げてきた。国家行政組織法における3条委員会にするべきだと申し上げている。今、原子力安全委員会は8条委員会、つまり執行権のない、「審議会」扱いなのだ。陣容も手薄である言わざるを得ない。昨今の体制強化があってもなおである。

 原子力安全・保安院は昨日も書いたが原子力専門の規制機関ではない。加えて原子力行政を進める経済産業省の中にある。

 つまり、日本には執行権を持った、独立した、原子力専門の規制機関は無い、ということになるのだ。私は、ずうっとこのことを指摘してきた。日本が原子力を本当に大切なものと考えるならば、このことを見過ごしてはいけない。今声をあげないで、いつあげるのだ。

  

 17日3面、社説 中越沖がなぜ救済されぬ 生活再建支援法

 「遡及適用を陳情した柏崎市長に対し、防災担当相は消極的な姿勢を示した。理由として「阪神大震災も遡及していない」と語ったという。
 そもそも、この支援法は阪神大震災の教訓を生かすために震災三年後の一九九八年に施行された法律だ。この震災では十本を超す特別立法がなされ、国を挙げての復興支援があった。中越沖と比べられる話ではない」

 「 本県選出の与党議員は改正案をどう受け止めているのか。中越地震でも、阪神並みの特別立法を求めながら見送られた苦い思いがあるはずだ。
 中越沖の被災者を改正法の対象に含めるというのは、決してわがままな言い分ではない。本県選出の議員はいまこそ与野党で力を合わせるべきだ」

 と結んでいる。

 そのとおり。

 今回の中越「沖」地震で、(面倒くさい)柏崎沖地震で、国会議員のどなたも議員立法をおっしゃらない。特別立法の声も聞かない。私が言う「原子力立地地域災害復興支援特別措置法」など、どなたも声を上げない。難しいのは承知している。けれどもここで頑張らないでいつ頑張るのだ。

 国会議員は「law maker」であるはずだ。


 

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2007年10月19日 (金)

原子力を奪われるな、柏崎!

 寝不足。老犬ハッピーがやはり夜鳴く。眠い。早くから起き、新聞を読んでいた。

 新潟日報、朝日ともに柏崎原子力発電所の制御棒を引き抜くことが出来ない事態を1面で書いている。讀賣は社会面で書いている。

 制御棒が一時的にせよ、部分的にせよ、うまく機能しない事態というのはかなり重い。制御棒は文字通りの役割を果たすものであり、昨日も書いた旧指針の中では「As」クラスで最重要に位置づけられている。新指針の中でも最重要の機器領域が広がり、ほかの機器とともに「S」クラスになっている。(一部新聞ではAsクラスと書かれているが、Sクラスが現在正しいのではないか) 制御棒はいずれにせよもっとも大切な機器である。

 私は今後も原子力を柏崎にとっても、日本にとっても大切なものとして位置づけたいと思う。ただ、過去数十年原子力を取り巻いてきた雰囲気や体制からは脱却しなければならないと考えてきた。そして、少しずつではあるがそれを実践してきた自負もある。今回の地震はそれを更に加速させなければならない事を確信させている。そうでないと原子力が奪われる。従来的なものに限りない愛惜を抱きながらも、その従来的なものに訣別をする覚悟が問われているように思えてならない。政治も、市民も、国民も。「少し変わる勇気」

 ということで、山で修行してくる事とする。

 

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2007年10月22日 (月)

時間が過ぎていく

 明日10月23日で中越地震から3年目を迎えることになる。2004年10月23日17時56分、私は市役所から3分と離れていない居酒屋にいた。子どものアイスホッケーチーム「柏崎デビルズ」の懇親会が行われていた。それからのことは以前のブログに書いた。

 私から見れば、市長選に向け1ヶ月を切ったところだった。

 3年後の今、私は考えている。原子力発電所と柏崎市。あのとき指摘した連絡体制の不備。広報のあり方。今回は原子力発電所に直接的な被害。それを原子力災害と呼ぶか否かは別として、その捉え方。変わったのだろうか。柏崎と原子力発電所。

 私はやはり今回の事態は、柏崎も東京電力も、ひいては日本のエネルギーセキュリティも、存亡の危機に結びつく可能性を有していると思う。

 大きく考え、大きな声を出さなければならない。目先のことのみならず、遠くも見つめ、歩かなければならない。

 新聞記事が昨今「中越地震」のことばかりであるのは仕方のないことなのだろうか。

 柏崎沖地震なのだ。柏崎が発信せよ、遠くを見つめ、大きく考え。

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2007年10月23日 (火)

難問

 昨晩は塾の営業を終え、一目散で家に帰った。NHKスペシャル「100年の難問はなぜ解けたのか ~天才数学者 失踪の謎~」を見たかったのだ。

 100年もの間解けなかった数学の難問「ポアンカレ予想」を巡るノンフィクションである。昨年、この問題を解いたのはロシアの数学者グリゴリ・ペレリマン(41)。彼は、数学の世界では最高の栄誉、フィールズ賞を受賞するがそれを拒否し、失踪する。ようやく連絡先を見つけ出した彼の恩師が電話をかけるが、面会を拒否される。

 ポアンカレ予想とは、宇宙の果て、宇宙の形に関するものである。こういった、誰もが抱く、けれども誰にも分からない命題を彼は解いた。正に天才なのだろう。彼はあらゆる賞賛を拒否する。東西冷戦終結の結果、ロシアからやってきたにこやかな青年ペレリマン。彼は研究の中で、真理に近づき、遠ざけられ、深淵を見、蒼穹を見、期待し、絶望したのではないか。

 少し子どもっぽい演出に流れたのは残念であったが、総じて良い番組であった。公共放送が手がけるべき領域である。NHKはドンドンこういう番組を作って欲しい。

 さて、柏崎と原子力発電所の問題はポアンカレ予想ほどではないが、かなり難解である。無視しようと考えれば今まで通りでよい。しかし、それでは、ビッグバンに対応できない。雲散霧消してしまう。問題を正確に認識し、知恵を集め、解いていかなければならない。 

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2007年10月24日 (水)

不釣り合い

 朝から笑ってしまった。テレビで銀座の「ママさん、電子申告体験をする」という内容が放送されていた。ママたちがインターネット上で確定申告できる「国税電子申告・納税システム(e-Tax)」の講習会に参加した。誰が主催したのかそこまでは聞き逃したが、まさか国税庁?だとしたらやるなあ。

 いかにもカメラを意識した化粧、服装。和服もあればスーツ姿もあった。そのあでやかさ?よりも、コンピュータに向かいながらも、カメラを意識する姿がズズッと並ぶ光景に思わず吹き出してしまった。余りにもの明るい光線を浴びての姿はやはりどこか不釣り合いだった。やはり、after 22 でしょうね。

 「今晩来てね」「今晩はなあ」「うーん、もう」「おい、よせよ。カメラ、カメラ」

 久しぶりに面白かった。笑い声を作らないと。

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2007年10月25日 (木)

新潟県危機管理監は頑張っている

 今朝も秋晴れ、さわやかである。

日経1面;

  • 国連が東電のCO2削減に関する排出権取得を認めなかった記事。
  • 東芝の今期営業益が過去最高に近づく、という記事。

毎日IN版;

  • 中越沖地震:断層面、柏崎刈羽原発の直下に、という記事。

 そんな中、昨日見つけた新潟県危機管理監の地震2週間後の発言。経済産業省における「第1回中越沖地震における原子力施設に関する調査・対策委員会」でのものである。私は評価する。失礼な言い方をお許し頂きたいが、これほど率直で、実質的な発言ができる組織だとは思わなかった。この発言はもっと大きく取り上げられるべきであった。柏崎市も少なくともこれくらいの発言をして頂きたかった。行動して頂きたかった。発言を発言として終わらせるのではなく、実現させて頂きたい。これは政治の領域である。

 明日10月26日は原子力の日である。そして耐震補強を行った浜岡原発に関する判決が出される。

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2007年10月26日 (金)

ハッピー

 真夜中3時にパジャマ姿で犬を散歩させる男を見た人はまず間違いなく「不審者!」と思うに違いない。しかし、例外もあるのだとご理解頂きたい。桜井雅浩は不審者ではございません。不眠者です。

 老犬ハッピーのために私はコンパネ6枚を買い、犬小屋を作った。今現在使っているプラスチック製の小屋がそのままはいるようなものである。断熱材を巻き、高気密・高断熱である。ドアまでつけた。

 「これで夜も寒くないだろう。夜鳴きもしない」と自信満々だったのだが、現実は甘くない。

 「そうだ。昼間この豪邸に入り、快適な睡眠をむさぼっているから体内時計が狂い、夜目がさえるに違いない。昼間は太陽の下、ホルモンバランスを調整してやればいいんだ」と昨日気づき、昼間は小屋に入られないようにしておいた。

 しかし、私は3時に散歩をした。誠実な努力は常に報われない。

 ハッピーは私と16年を過ごしてきたのだ。何とか手段を考えてやるぞ。まあ、けど眠いですなあ。 

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2007年10月27日 (土)

それらしき場所

 土曜の午後、そして雨の午後、村上春樹の「走ることについて 語るときに 僕の語ること」を読み、秋本治の「こちら葛飾区亀有公園前派出所 第6巻」を読んだ。もちろん、誰が考えても必然性など無い。何でそんな取り合わせなんだ、と問われても僕だって(村上春樹風に)分からない。ただ、雨が降って、それも激しく降って、山に行けなかった、そして、買ってきた本と地震の後の整理で出てきた本が僕の近くにあっただけだ。

 村上春樹は大学生の頃から、そしてデビュー作からずうっと読んでいる。僕が見つけたのではない。友人が教えてくれたのだ。大江健三郎的なものを読まなければならない、と思っていた僕だったのだが、何となく乾いた作風を格好良いものに感じて、読み続けてきた。ちなみに良くあるパターンかもしれないが、ベストセラーになった「ノルウェイの森」を僕は大事にしていない。その証拠に手元に残っていない。たぶん女の子に一言二言いいながら手渡したんだろう。そして帰ってこなかった。本も女の子も。

 「こち亀」は今でこそ「こち亀」で、僕の車のハードディスクには「こち亀全曲集」などというCDが録音されているのだが、(子ども用です。一応)単行本が出始めた今から30年ほど前は、こんな扱いではなかった。両さんの破天荒は僕だけでなく多くの人にカタルシスを与えてくれているだろうし、50話に1話ぐらい入る人情劇もちょっと魅力だ。道徳とか倫理とか正義とかを訴えないつつしみがある。

 がらりと変わるが、昨日の浜岡原発運転差し止め請求に関するに判決。原告全面敗訴、電力会社が主張する耐震安全性を認めている。各社が社説で扱っている。日経、朝日、讀賣、毎日、産経。全紙が扱っている。そして共通するのは「さらなる耐震化」への備え、認識である。

 「個々のタイムも順位も、見かけも、人がどのように評価するかも、すべてあくまでも副次的なことでしかない。僕のようなランナーにとってまず重要なことは、一つ一つのゴールを自分の脚で確実に走り抜けていくことだ。尽くすべき力は尽くした、耐えるべきは耐えたと、自分なりに納得することである。そこにある失敗や喜びから、具体的な-どんなに些細なことでもいいから、なるたけ具体的な-教訓を学び取っていくことである。そして時間をかけ歳月をかけ、そのようなレースを一つずつ積み上げていって、最終的にどこか得心のいく場所に到達することである。あるいは、たとえわずかでもそれらしき場所に(原文では傍点付き)近接することだ(うん、こちらの方がより適切な表現だろう)。
 
「走ることについて 語るときに 僕の語ること」村上春樹

 「おまえの顔はワイセツ物陳列罪に該当する!」
 「そ、そんなばかなことが!」
 「ばかなことだと その発言は警察法第10条”警官をおちょくりました罪”に該当する!」
 「そんな法があるもんか」
  
「こちら葛飾区亀有公園前派出所 第6巻 ふれあい運動会の巻」秋本治 
                 
 
 それらしき場所とワイセツ物の間で揺れている。

 
 

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2007年10月29日 (月)

柏崎にとって大切なもの

 柏崎にとって大切な記事が続く。

 28日(日)讀賣

 東電赤字転落へ 原油高や原発停止 料金値上げ検討 08年度

 27日(土)朝日

 NY原油、最高値をまた更新、一時92.22ドルに

 29日(月)日経

 中越沖地震解明進まず 柏崎刈羽原発 耐震性評価に影響も

 地震の評価には常に不確実性がつきまとう。こうした不確実性を補う方法は二つ。
 想定を超す地震で大事故が起きる確率を計算し、リスクを最小限に抑える方策を練る確率論的安全評価だ。昨年改訂した耐震設計の指針で国は、電力会社にリスクの計算を求めた。原発の耐震性の基盤となる地震研究には限界があることを地元住民や国民に説明し、リスクを最小限に抑える姿勢が必要になる。
 もう一つは、詳しい地層がわからない場合、柏崎刈羽が建設された当時の耐震基準であるM6.5をM7.3以上に引き上げることだ。M7.3以上の大地震は地表に痕跡が残り、未知の地震にはならないとされる。安全性は極めて高くなるが、既存の原発に適応すると耐震補強に高いコストがかかる。具体的な工事の進め方も問題になる。

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 特に最後の日経は柏崎にとって大切だと思われるから長く引いた。

 私が重ねて書いてきた「覚悟」にもつながる。柏崎、東電、そして大きく考えれば日本の産業構造を揺るがす、存亡の危機につながる事態だと思う、と書いてきた。

 私は日経が書く二つを二つともやらなければならないと強く信じる。特に後段は、一企業でまかなう領域ではない。国が前面に出て、合理的な範囲でその責任を担うべきである。

 従来的なものから脱し、柏崎発のアイディア、イニシアティブを発揮しなければならない。

 「原子力施設耐震構造補強促進法」

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 29日(月)讀賣

 藤波孝生氏死去

 いいなあと思っていた政治家であった。心からご冥福をお祈りする。 

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2007年10月30日 (火)

3人のお年寄り・1匹の老犬

 久しぶりにゆっくり寝た。ハッピーを自転車小屋の方に入れ、断熱材を敷き、更にアクリルで出来た小さな寝室小屋(1480円)を用意した。夜鳴きすることもなかった。私が作った高気密・高断熱の御殿は昼間専用となった。

 このことを教えて頂いたのは朝の散歩で出会うお年寄りである。もう何十年も犬を飼っていらっしゃるこの方に伺ったのだ。

 「桜井さん、そりゃ寂しいんだ。犬はやっぱり寂しいんだ。特に老犬ともなればなおさらなんだ。家に入れてやりなせ。人の声が聞こえるとこに入れてやりなせ」

 今朝、お互い熟睡から目覚め、散歩させるとハッピーの脚はヨロヨロしている。もう限界に近いのだろう。そうすると2,3日前まで叱りつけたことが思い出される。「ハッピーも寂しかったんだ。悪かったなあ」

 お二人の女性。

 畏兄のお母さん。先般久しぶりにお元気な様子を拝見した。

 「桜井さんねえ、あなた今何やっているの?塾?ああそう、そっちの方が性に合っているの?」
 「私ねえ、亡くなったお父さん(ご主人)が自分では何にも出来ない人だったから、私が何でもやってきたの。そしたらお父さんが『お母さんは何でも出来るんだなあ』って言うのよ。けど、そのお父さんは私のことを1度も怒ったことがなかったの。そう、ホント大らかな人だったの。だから、私ね、生まれ変わってもまた、お父さんと一緒になるの。こんな事、『のろけてる』なんて言う人には私言わないの。私、人を見て言っているの」

 その晩、私は久しぶりに本当に久しぶりに、本当につまらないことで、女房を怒った。人生うまくいかない。

 もうお一人の女性。白洲正子さん。

 今朝の教育テレビで細川護煕氏が白洲さんを語る番組があった。私は随分前、白洲さんの本を2冊ほど読んでいる。西行に関するものだ。正直余り感心しなかった。細川氏が何度も紹介していた白洲さんの言葉。

 「人は孤独になって初めて寂しさがわかる。初めて愛がわかる。人に優しくできる」

 北面の武士という、いわばエリートの地位を捨て、妻子を捨て、出家した西行を重ねての言葉なのだろう。

 さて、私は詰まらぬ事で女房に大きな声を上げ、出家も出来ない。ただ、ハッピーの気持ちはよく分かるようになった。

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2007年10月31日 (水)

老犬ハッピーの死

 ハッピーが死んだ。昨夜0時過ぎに見に行ったところ買ってきたばかりのアクリル小屋から出て、入れないでいたので、入れてやった。ハッピーは吠えることもなくそのまま入った。私は「お休み」と声をかけ、2階に上がった。

 5時過ぎに目が覚めた。今日入っている予定表を塾に忘れてきたので、取りに戻り、そして6時過ぎ、自転車小屋を開けた。ハッピーは死んでいた。ハッピーは自ら望むがごとく死んでいた。もちろんそれは望んだものではないはずだが、なぜかその姿には彼の覚悟めいたものを見た。私は、綱をほどきハッピーの体を横たえた。周りを片づけた。

 母がトイレに降りてきて、その母に告げた。そして、私は、長男、次男、三男、そして女房、父に告げた。子どもたちには「ハッピーが死んだ。降りてきておまいりしてやってくれ」と声をかけた。3人とも寝ぼけ眼ながらも、事態を感じ、文句も言わずに降りてきてくれた。

 私は、全員がハッピーの姿を見た後、山の畑にハッピーの遺体を運び、埋葬した。寂しくないよう母がいつも使う農作業小屋の近くで、そしてたぶん夕日がきれいに見えるところである。

 私はハッピーを連れ、妙高にも行った、佐渡にも渡った、米山にも登った、川下りにも連れて行った。私が柏崎に戻ってきて以来常にハッピーがいた。

 先般、きのこが採れたとき、さて誰に差し上げようかと迷いながら運転していた。日曜日のことである。道ばたに男性がいた。その男性のお父さんは私の大先輩であった。そして、小野梓氏の「民は国の基、吏は民の僕」という言葉を教えてくださった方である。お孫さんは16年前、開いたばかりの塾生第1号になってくれた。そして、そのご兄弟から生まれたばかりの子犬を頂いた。それがハッピーである。

 私は運命論者ではないつもりだが、このたびはそれを感じる。そして、ハッピーにすまない気持ちも少し残しながら、土をかけた。

 さっき長い昼が終わり、営業時間に向け車を塾に走らせていた。ハッピーそっくりの犬が元気そうに散歩していた。その時初めて目が熱くなった。ハッピーごめん。けれどもありがとう。本当にありがとう。

 昼間、父母が菩提寺のお坊さんに頼んでお経を上げてもらったはずだ。16歳であった。

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