柏崎の可能性
先週末の朝日に次のような記事が載った。
日中「鉄の結束」30年 新日鐵・宝鋼集団
新日鐵が中国最大手の鉄鋼メーカー、宝鋼集団に技術支援を行い始めてから30年が経ち、記念行事が君津で開かれた、という記事である。
48歳の宝鋼会長の徐氏が新日鐵OB吉竹氏の姿を見つけ、駆け寄り、握手を求め、抱き寄せた。徐氏は今から20年ほど前、吉竹氏から研修を受けたのだ。
新日鐵は宝鋼の主力拠点宝山製鉄所建設に全面協力し、中国から3000人の研修生を受け入れ、1万人の社員を中国に送った、と記事は続けている。
現在、宝鋼は粗鋼生産で世界第6位、第2位の新日鐵に迫ってきている。1位のアルセロール・ミタルは宝鋼を狙っている。新日鐵と宝鋼は「30年の信頼」を基に結束し、それに対抗している、と記事は結んでいる。
私が目指しているのはこの姿である。日本・柏崎と中国、原子力。
以前、賢人から「中国はしたたかだからだまされるぞ」と言われた。確かにその可能性も半分はあると思う。人間関係と同じでだまされ、使われ、捨てられることほど惨めで、腹が立つことはない。恨みにもつながる事柄だ。しかし、日本と中国の関係は現実的な所を共有しながら、敢えて言えば「利益」を共有しながら、関係を整えていくしかないのではないか。そして、柏崎には原子力がある。たとえ、知事が言うように「廃炉」の可能性があったとしても、それはそれで大変な仕事である。そして、新たな需要が生まれる。いずれにせよ中国は原発を必要とし、柏崎にはそれを支えうる人材があり、技術の蓄積がある。原子力発電をめぐり「新たな経済」が生まれる。
私はだからこそ、今こそ、原子力で柏崎は主張せよ、大きな声を上げよ、と書いているのだ。国から具体的な成果を求めよ、レールを敷かなければならない。単に「早期再開」を求めては駄目なのだ。
日本にとっての、柏崎にとっての原子力を根本から考え直し、そして位置づけ、安全を確保しうる担保、法制度を整え直し、規制組織を構築し直し、原子力が国策であることを明確に位置づけ、一元的に国が全面的に責任を担うことを認めさせなければならない。今回の地震源には原発があることをもう一度認識し直さなければならない。阪神・淡路大震災にも、中越地震にも原子力発電所は存在していない。柏崎沖地震には国策たる原子力発電所が存在していたのだ。
従来的な発想ではなく、大きく構え、そして新たな発想で、実質的な成果を積み重ねていかなければ、「経済」を生み出していかなければ柏崎は無くなる。
新たな柏崎を、世界に開かれた、いや、世界を拓く柏崎を作らなければならない。
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