103歳と15歳の夢
画家の片岡球子さんが21日亡くなった。103歳であった。私が以前勤めていた女子美のご出身である。各紙はその偉業と人生を書いた。その日朝、私は掲載された新聞を夢実現にかける15歳の少年と共に読んだ。
「でっかい絵を」 夢貫いた1世紀 「北海道の大地のような、でっかい、人が私の絵を見たら息が詰まるというような、そういう迫力の絵を描きたいと思った」。(産経1月21日)
30年間、小学校の教壇に立ち、夜に絵筆をとった。服を着たまま、ごろりと横になる。普通に眠ったのは風邪をひいたときだけという。血を吐くような初音の辛酸は後年、雄渾(ゆうこん)にして装飾性をも備えた独自の人物画、風景画に花ひらいた◆雪もよいの空の下でいま、梅の蕾(つぼみ)がふくらんでいる。(讀賣1月22日:編集手帳)
若い頃は帝展や院展によく落ちた。「落選の神様」と呼ばれた当時を、後に女子美術大学の後輩たちに語っている。「展覧会が近づくと、みんな私を避けて通るんだよ。ほんと悔しかった。負けないぞと思ったね」(奥岡茂雄『片岡球子・個性(こころ)の旅路』)▼「私の富士山は理想の山じゃなく、いつも生きている山。変な形になればなるほどいいんです」は95歳の言である。「暴れ回るように描きたい」と、最後まで時代に媚(こ)びなかった。(朝日1月23日:天声人語)
女子美術専門学校卒業後、小学校で教諭をしながら制作を続けた片岡さんは1930年、初期の傑作「枇杷(びわ)」で院展に初入選した。日中は教務があり、制作は夜しかできない。描きながら着のみ着のままで眠り込むという厳しい生活が続く。再入選まで2年、3度目の入選まで5年も落選を続けた。仲間は「落選の神様」とあだ名で呼び、まるで落選が伝染するのを恐れるかのように道ですれ違うことさえ避けたという。片岡さんも落選作に付けられる赤紙への恐怖から「かき氷はいつもメロン味を選び、赤い布団を見ると逃げ帰った」と話していた。
そんな片岡さんに小林古径が言葉をかけた。「あなたの絵はゲテモノに違いありません。しかしゲテモノと本物は紙一重の差です。あなたはゲテモノを捨ててはいけません」。自分が描きたいものを追求する片岡さんの創作態度や作品の魅力を、近代を代表する日本画家の小林古径は見抜いたのだった。片岡さんは巨匠の言葉を肝に銘じた。大胆にデフォルメされた形や鮮やかな色彩など、従来の日本画とはかけ離れた魅力は、まさに自分を信じ続けたその先に開花した。(毎日1月21日)
夢に向かって進んでいった15歳の後ろ姿は本当に格好良かった。夢は必ず大きなものとなる。
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